今日の読売新聞の「編集手記」を見て思ったこと。

要約すると
「最近台風とかがスゴイ。これからも警報がバンバン出るだろうが、警報に慣れてしまわないように
今回や伊勢湾台風などの大被害をもたらした自然災害の記憶を忘れないように語り継ぐ必要がある」
という趣旨だったと解釈した。

が、僕はそういった「被害の記憶」に頼ってきたからこそ、被害が減らせないのだと感じた。
「被害の記憶を語り継ぐ」というのは、つまり「凄い雨で洪水が起きて家が流された」とか
「多くの人が亡くなった」などという負の記憶を
であって、
「こうしたから助かった」「このぐらいの事が起きたら逃げなければならない」、
もしくは「こうしたら助からない」「こういう行動は危ない」と言った経験を
ではない。

上述の記憶によって発生するのは、「だから怖い」などと言った感情論であって、それ以上なにも齎さない。
そんなものは語り継ぐ必要が全くない。


重要なのは経験から来る対応策であって、記憶の維持ではない。

「警報に対する慣れ」に対して警鐘を鳴らすなら、
「警報があったら必ず指示通りに行動しなければならない。
 しない場合は自己責任で自分の命を守る必要がある」
というルールの堅守を呼び掛けるのが正しいんじゃなかろうか?

「警報に慣れてしまわないように、災害の記憶を守ろう」はまったく論理的とは言えない
「警報に慣れてしまわないように、普段から警報が鳴ったら即行動が出来るように訓練しよう!」
論理的に正しい帰結じゃあないんだろうか?


僕が前居た職場では、地震や火事が起きたことを想定した避難訓練をたまに行っていた。
それを市町村レベルでやればいいだけの話だ。
きっと劇的に警報に対して適切に行動できる人が増えるだろう。
その時に災害の記憶も語ればいい。それによって恐怖を感じ、訓練にも身が入るだろう。

こんな簡単なことを、どうして新聞記者だの政治家だの公務員だの、
僕なんかよりよっぽどまともな教育を受けてきたはずの人間ができずに、思い至ることもできないのか。
甚だ疑問です。



経験則でいえば、僕はとある銀行のシステムオペレータだったのだけど、
様々な障害に対しての障害対応訓練をそれこそ毎日のようにやって、
障害の対しての勉強会をして、障害に備えてきた。
おかげで初めてあたったやつでも「あ、これ前訓練やったな。てことは最初はアレすればええんや」と
落ちつくことが出来たし、比較的冷静な行動が出来たことが何度もある。

毎日毎日要らないアラートが鳴りまくっても、ホントの障害かもしれないから
きちんと「なんで鳴ったのか」を確認して別に気にしなくていいアラートだったよって判断するまでは
障害が起きてるのと同じように行動するっていうことを堅守出来たのは、
そのようにルールが作られていて、それをみんな堅守することを大事だって理解してたからだと思う。


翻って災害警報だけど、果たしてそうだろうか。
警報が鳴ったからどうしたらいいのか、そもそもこの警報は「ちょっと注意してくれよ」っていう程度なのか、
「やばい、早く逃げろ!」っていうレベルなのか、判断できるほど皆知ってるんだろうか。
少なくとも僕は知らない。知る由がないからだ。ググれば出てくるんだろうけどね。


訓練が足りないんだよ。訓練しろ訓練。
しっかり被災訓練すれば、災害の記憶を語り継ぐなんて曖昧な対策よりよっぽど成果が上げられるよ。